朽木るべからず』・・・

梅雨前線が去ったとおもえ・・・

梅雨どきの季節、毎日が身も心も・・・

八白土星という星が・・・

昔、国語の試験問題に□肉□食・・・


 『朽木(きゅうぼく)()るべからず』(論語)・・・・腐った木には、何も彫ることができない。やる気のない者・臆病者に、いくらものを教えようとしたところで、何も身には付かない。・・・・自分が教えてもらう立場にあるなら、まず何よりも
「やる気」を出すこと。反対に教える立場にあるなら、相手が「やる気」が出る教え方の創意工夫が必要でしょう。
 組織運営上の実態として「2・6・2の法則」というものがあるそうです。
自然力(じねんりき)・・・・自らが燃える力、つまり「やる気」可燃力(かねんりき)・・・・よし!一緒にやるぞ、つまり意気に感ず、ということ、これが。そして不燃力(ふねんりき)、これは怠慢・臆病ということ・・・・。
 我が日蓮宗にあっては、10月は『お会式(えしき)』月です。弘安5年(1282年)10月13日のご命日忌と、その前夜に営まれる御逮夜(おたいや)の法要にもかかわらず、お会式桜にちなんだ桜花を飾り、鮮やかな五色の餅をお供えし、万灯の練り行列がにぎにぎしく出るのは、お釈迦様の正しい教え(妙法蓮華経)を指針とされてまさに自然力(じねんりき)を以て、自らの生涯を一切衆生救済に貫徹した日蓮聖人への報恩行であることは無論ですが、実は、私達1人〜の常日頃の信仰のあり方(姿勢)が問われる、(こわ)〜い」場でもあるといえましょう。





 梅雨前線が去ったとおもえば、そこには土砂崩れなど日本列島に多くのつめ跡を残し、続いて連日に及ぶ猛暑から、熱中症による被害が続出する毎日、併せて毎年3万人を超える自殺・そして慢心・偽装・汚職・殺人・いじめ等々・・・心の猛暑はこれからが本番ともいえますネ。
 自国の歴史の歩みを忘れた民族は滅びていく、といいますが自分の人生の歩みを忘れた人間も同じ道をたどるに違いありません。本年も半年を経過した今日、振り返れば、年の始め、(かなめ)とすべきは
「変革・刷新」「一事貫徹」・・・そしてダーウィンの〈進化論〉に指針を求め「適者生存」(地球の長い歴史の中で、生き残ってこられたものは、強い生き物でも賢い動物でもなく、その時々の環境の変化に適確に対応できた動物だけが生き残ることができる)と公言しながら、あたかも時代の変化に機敏に即応するかにみえた現政権の「短命首相」どたばた劇にも似て、今だに自分の心の歩幅は定まらない始末です。
 人はいかなる立場、境遇にあろうとも一念を堅持し、その一念に思いをこめることで、いかなる状況も刷新することができる・・・歴史の歩みはあらゆる分野に於いて、それを証明しています。
 
NHK大河ドラマ『龍馬伝』も、その人となりを現代の世相に(かんが)みて、いよいよ夏本番。以前龍馬を評して
                        
  心  ひるまず
                          
おごらず
                         かたよらず

と学ばせていただきましたが更に、その生き様に共感して私達が実動すべきは、現代の世相からすべて失われつつある次の要素でしょう。
 
@ 公平無私
 A 先見性(先を見通す洞察力)
 B 自己責任(自分が責任を取る覚悟)

これからの心の猛暑に備える一陣の涼風となることはまちがえありません。





 梅雨どきの季節、毎日が身も心もうっとうしく、我が子が幼少時分無心に「てるてる坊主」をつくって、晴れるといいな・・・と願った日々を、なつかしく思い出す。
 「てるてる坊主」(照々坊主)は、古くは「てるてるぼうし」(照々法師)と呼ばれていた。『てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ いつかの夢の 空のよに 晴れたら 金の鈴あげよ』二度と帰ってこない、なつかしい日々である。
 一番だけは知っていたが、二番、三番を調べてみた・・・二番の後半の歌詞は『私の願いを 聞いたなら あまいお酒を たんと飲ましょ』 一番同様利益誘導型・・・いわば成功報酬がうたわれている。これは日常よくあるパターンなので許せるが、問題は三番の後半の歌詞である。『それでも雲って 泣いたなら そなたの首を チョンと切るぞ』・・・これは脅迫、今でいうところのいじめではないのか?
 てるてる坊主は、呪術的祈願に端を発する人形(ひとがた)であったに違いない。童謡では『晴れたら 金の鈴あげよ』とあるが、実は祈願成就の暁には目・鼻・口を書いて、頭からお酒を注いで川に流す。願いがかなわなければ、首がチョン切られる。・・・てるてる坊主をつくる人は、つきつめれば自分の願いと違った想いが他に存在することなど考えたこともないだろう。仏法でいう餓鬼(がき)畜生(ちくしょう)修羅(しゅら)・の世界の心、度し難いエゴイズムの典型である。
 私達が生きているこの世界は、様々な人間が多種多様な価値観・利害関係を持ちながら、共に生きて行く 娑婆(しゃば)忍土(にんど) 〔苦しみが多く、耐え忍ぶ世界〕であるが、中には切なくも必死で生きぬいている人もいることを忘れてはいけない。・・・自分だけの考え・価値観を絶対としてはいけない。自分は晴天を期待しても、広い娑婆の中には雲り・雨降りを期待している人もいることを忘れてはいけない。「てるてる坊主」に学ぶ生き方である。
             雨の日には
                  雨の中を
             風の日には
                  風の中を
                           ― 相田みつを ―
                 それがなかなかできない 私。





八白土星という星が中宮(ちゅうぐう)に回座した本年、この星を称して、易の言葉に『時止(ときとど)まれば(すなわ)ち止まり、時行けば則ち行く。動静その時を失わず。その道光明(こうみょう)』とあります。・・・止まる時には止まり、行くべき時には行く。この様な行動を私達が取る為には、当然のことながら「自己責任」を伴います。タライ回し・いいとこどりは無理、ということ・・・。動くにしろ、止まるにしろ、正しい天の時(使命・信念に裏打ちされた、事を起すタイミング)を見失わなければ、その道は、自ずと光り輝く、という意味です。易の言葉は続きます。『よく知れ、()れ神か』・・・単に現れた事象だけを見るのではなくして、その中に潜む核心を知って、改良・変革を心掛けよ、と教えています。
 平成21年の日本を象徴した漢字が「
」であったことはご存知のとうり・・・。私達は本年以降に、どんな希望の光を心から望んでいるのでしょうか?
『龍馬伝』・・・本年のNHK大河ドラマは幕末の風雲児、今何故「
龍馬」なのか・・・?
       現代人の心に欠如したものとは?
               心、ひるまず
                  おごらず
                かたよらず。

変化・刷新
を象意とする本年、お膳立てされた環境・惰性を廃して、『一事貫徹』・・・これ、本年の(かなめ)です。




 昔、国語の試験問題に□肉□食、□の中に「焼」「定」を書き入れた学生がいたとか・・・?。ダーウィンは『進化論』で、弱肉強食を超えた(しゅ)の生存のあり方を、次の様に結論づけています。
            ・強いものが生き残るのではなく
            ・賢いものが生き残るのでもなく
            ・環境に適応したものだけが生き残る   −  適者生存
夢想は、未来には決してつながりません。未来を築くカギは、時の流れ(時代背景)を十分に把握し、経験と現実の実績を活かすことにあります。
 宗祖日蓮聖人は、
(きょう)(よりどころ)とする教え・指針)・()(タイミング)・()(時代)・(こく)(国家)を踏まえられて、立正安国(りっしょうあんこく)(正法たる妙法蓮華経を(かなめ)として、国家を安ずる)を終生の課題とされたお方でした。
 心も物も不況の時代に、「
棚ボタ」なんてありっこないじゃないですか・・・!。まずは、自分自身の頭のハエを追うこと。
『棚の下にいなければ、落ちてきたボタ餅は受け取れない。思いがけない幸運が到来しても、それを手中にするには、地道な努力が欠かせないという意味だ。〜〜〜日の当らない芸人も、一生に1、2回はチャンスがある。その時に、バットが振れるか?〜〜〜振らなきゃ絶対当たんないんだから。それには普段から素振りを繰り返しておくしかない』 − 
平成21年12月17日 東京新聞「筆洗」
 最近は、すぐに底の割れる言動が氾濫しているが、自己研鑽によるオーラが絶えず放出される、より良き言動こそ、
人間という(しゅ)が生き残れる要諦に(おも)えてならない。
     
日蓮聖人曰く
       教主釈尊の出世の本懐(ほんがい)は人の振舞(ふるまい)にて候いけるぞ。