平成23年3月11日という

今年の残暑は、酷暑の連続

恒例の霊山身延七面山登詣

東日本大震災義援金ご協賛への御礼

この度の東日本大震災に

昨年、H22年は『変革・改良・刷新』

『棚の下にいなければ』




  平成23年3月11日という、戦後の日本史に最大の汚点を刻印した今年も、冬至を過ぎ、慌ただしい年末もすぐそこに迫ってまいりました。「状況が変わってしまえば、過去の成功体験など全く通用しない」・・・・本年、日本国民が痛感した教訓です。
 与えられた使命・立場・役割の中にあって、被災した人々に心を寄せる
『想』いを決っして忘却せず、これから新しいものを創っていかねば!・・・・『想』⇒『創』。「壊す」とは、更なる高み・「創造」へとジャンプする過程です。まっさらな状況から、今一度何を創るかを冷静かつ客観的に見詰め直す《絆》の重さを銘記する時です。
 平成23年は、七赤金星という星が中宮に回座した年でした。干支(えと)(かのと)卯・・・十干の辛は、辛苦・辛酸・辛辣という熟語に代表されるように、万物・自然が一新する厳しい状況を、十二支の卯は、門をむりに押しあけて中に入りこむ様子、つまり開門を、それぞれ暗示していました。押しあけた門が「幸せの門」なのか、はたまた「不幸せへの門」なのか・・・平成22年は
『変革・改良・刷新』への正念場の年、この覚悟の度合によって、その結果と私達自身が真摯に向き合わなければならない、それが本年であったはずです。併せて初詣の折、皆様方へお伝え申し上げた象意の(かなめ)自反尽己(じはんじんこ)・・・「自反」とは、つい人に向けてしまいがちな指を、しっかりと自分自身に向けなおすこと、そして全てを自己責任と捉え、「尽己」与えられたその場を正念場として最善を尽す。つまり発心・決心・・・年頭に決意した事を、自身が納得実動し、何らかの評価が得られたか?、そして改善すべき点は謙虚に決断できたか?、また持続心、自身が気づき改善すべき事と決心したならば、徹底して実践してきたであろうか?・・・・来年は辰年。「昇龍のごとく」教訓として学ばせていただいた《絆》を、実践に弾みをつけ、飛躍的な自己啓発の指針・願行としてまいりましょう!




 今年の残暑は、酷暑の連続でした。彼岸も過ぎ、秋めいた涼風に身も休まるかと思いきや、「無常」の風は殊更に心に冷たく感じます。
 毎年恒例の身延山久遠寺団参からの帰路、9月12日(陰暦8月15日)は仲秋の名月、バス車中の窓から拝む満月は、それは艶やかな姿であった、と言っても決して過言ではありませんでしたが、地震・津波・原発問題の三重苦を背負いこまされた被災地では、昨年一緒に名月を愛でた人が、今年はもういない・・・・・涙にかすんだ眼で満月に想いを馳せた方々も、決して少なくはなかったでしょう。
 被災地は、かつて総称して
「みちのく」と呼ばれました。由来の「道の奥」「未知の奥」に通じます。そこで展開される言動には、無限の可能性を秘めた将来の日本人の縮図がこめられていると思います。
 何故自分が生き残り、そばにいた人が死んでいかなければならなかったのか・・・・・この非情の偶然性に何よりも必要なのは、人の境遇を心から(おもんばか)る連帯意識、宗祖日蓮聖人がお示しになられた
異体同心(いたいどうしん)の精神が肝要であり、その具現化された姿が支援物資・義援金となるのでしょうが、それにも増して重要なもの・・・・・それは「夢」であり「希望」でしょう。「夢・希望」の光は、必ずや日本の将来の姿を照らし出してくれるにちがいありません。新たな日本創成を自分自身の事として受け止めなおさない限り、無数の無念のうちに散った命に、私達の声はとどかないことを肝銘しつつ・・・・・。
 
強くなければ、生きていられない。
    
でも 優しくなければ、生きている資格はない。
 世の中で勝者でありつづけようとすればする程、
「強さ」だけは残っても、「優しさ」は失ってしまうことでしょう。
 不撓(ふとう)不屈の精神で
「優しさ」を生涯貫き通された日蓮聖人への報恩行(ほうおんぎょう)である『お会式(えしき)も間近です。




 恒例の霊山身延七面山登詣(5月28・29日)は、両日とも台風の影響から雨天、安全面から躊躇されたものの・・・決行。
 昨年は、4月・5月共に稀に見る快晴、約2000mの頂上から拝む御来光は、心洗われるものがあっただけに、それに比して本年の悪天候は、登詣に入る前の私の心に暗い影をさしました。ところが登山途中、長き人生の旅路と同様疲労感がつのる中で、ふっ・・・と、心に湧いた風景は、詩人相田みつをさんの言葉の人生観でした。
                 
 雨の日には
                       
雨の中を
                  
風の日には
                       
風の中を
 人生順風満帆なんてことはありえない。晴れの日も、雨の日も、そして風の日も、その心風景を進んで覗き観る勇猛心(ゆうみょうしん)を持つこと・・・与えられたその場を、正念場として立ち向う、これぞ妙法蓮華経
(南無妙法蓮華経)に適う根本的精神であった、と痛感させられたことでした。
 併せて、何故か
新生(しんせい)という言葉が頭を(かす)めました。今 日本は史上未曾有の大災害の渦中にはありますが、目を冷静に転じれば、近代以後ですら幕末〜明治維新期、そしてわずか66年前には、敗戦というまさに地獄絵にも等しい壊滅状態から私達の祖先・先輩は立ち上がり、見事に甦った。・・・必死の覚悟で国難に立ち向い、新生面を切り開いて来た先人の遺徳と向き合う時、この国難を契機に、眠りこけていた日本人のDNA覚醒の時。真の復興とは、私達1人1人が、雨・風の中から人生信条を今一度作り直すチャンスでもある訳です。
  
・勤勉性(正直・誠実・素直)
  
・忠誠心(報恩感謝・克己忍耐)
 上記、2点の美徳は日本人にとっての、(ふる)くて新しいDNAだとは想われませんか?・・・以前、『3つのカン行』という言葉を聞いたことがあります。@敢行(勇気を持って取り組む)A貫行(信念を持って貫く)B慣行(習慣になるまで持続継続する)。




        東日本大震災義援金ご協賛への御礼

合掌
 先般 4月29日 
『大震災復興チャリティー  吟遊詩人 芳晴コンサート・・・・・
心に光を、星に願いを〜私はここにいる』
に際しましては、妙見宮有縁の皆様方には多数御来山いただき、併せて当日、復興支援として、406,402円もの義援金をお預かり致しました。
 皆様方のご厚情・ご支援に対しまして衷心より感謝申し上げます。お預かり致しました義援金につきましては、早速日蓮宗当局を通じて、被災者の為にお届けさせていただきたく存じます。
 これからも當山は、
『開かれた地域の心の拠り所としての寺院』を目指して、全山務員一丸となって精進してまいる所存です。
 今後共、1人でも多くの皆様方に、その趣旨に御賛同いただき、御協賛賜らんことを切に念じ、御礼の御挨拶とさせていただきます。
                                       無妙法蓮華経
                                 妙見宮 現主
                                         廣野 観匡




 
合掌
この度の東日本大震災に際して被害を受けられた皆様方に心よりお見舞い申し上げ、多くの犠牲になられた御霊(みたま)が、御題目(南無妙法蓮華経)の大慈悲の光明に包まれて、苦しみなき境地に安住できますことを、衷心よりお祈り申し上げます。
 被災者の皆様方への、物心両面にわたって復興支援に取り組ませていただくことは無論ではありますが、一日も早く穏やかなる心と生活が訪れますことを切望し、今は私達が出来る具体的支援を模索すべき時でしょう・・・こういう時こそ、私達一人一人が「ぶれない信念」を貫き、日本人として本来具足していた『助け合いの精神』に回帰する時でもあります。
 人知ではとうてい計り知れない存在、また大自然に対する尊崇・畏敬の念を再生させる時でもあり、「お陰様」という感謝の心、「お互い様」という支え合う心に立ち返ることこそ急務と考えます。
 経済至上主義(物欲至上主義)に代表される功利的価値観の延長線上に、政治・教育・医療・福祉の現場も、もはや全てが行き詰まりを観せている中、過去の延長に固執しては、明日の明るい未来は決して訪れません・・・歴史は正に大変換期を向かえようとしています。
 大震災による多くの被災者の無念と真摯に向き合い、犠牲になられた方々への供養は、今日只今私達が置かれた「場面」を正念場として、最善を尽くすこと・・・『命に元気を』(命の尊厳・生きてある身の有難さ)を旗標(はたじるし)に奮然として立ち上がりましょう!
 来る4月29日夕べには、當山〈臥龍の藤〉の『悠久の命』を()でながら、大震災復興チャリティー胡弓ライブコンサートを開催致します。・・・題して
『心に光を・・・。星(妙見様は北極星を神格化した神様)に願いを・・・。』
 また、すでに御案内申し上げました妙見宮大祭 千部会(5月7日・8日)は、大震災被災地の復興を皆様と共々に心から御祈念する『信仰共有の場』であることを忘却してはなりません。
 多くの催事が自粛となっている現状の中で、哀悼の意を表する為には、自粛の一方で積極策を模索することこそ復興支援の一助と位置付け、恒例の御神輿渡御(本年は5月8日、午後1時〜)の原点は正に『神事に在り』との自粛の念に立ち返らせていただき、萎縮することなく実施することを決定致しました。
 一人でも多くの皆様方に御協賛賜らんことを切に念じて・・・   
                                     南無妙法蓮華経





昨年、H22年は『変革・改良・刷新』の正念場であったはずです。・・・さぁ、私達は昨年を振り返ってみて、その為の必須条件は何んだった(おも)われますか?・・・この三つの姿勢を貫く為には、どう動けば良かったのでしょうか?
 昨年の暮れ、こんな一文を目にしました。
 『1271年9月、日蓮は危機一髪で斬首の刑をのがれた。有名な(たつ)の口の法難である。
後にその事件を回顧し、命を賭して最後まで付き従った弟子の四条金吾に、日蓮はこう書き送った
「殿の罪深くして地獄に入り給はば、同じく地獄なるべし」(あなたが地獄に堕ちるなら、私も一緒に地獄に参りましょう)
 過去の文献を読んでいて強く印象に残るのは、もはや現代では薄れてしまった人間関係の濃密さである。〜〜〜〜〜いまや時代は変わった。日々の付き合いは淡白であっていい。しかし、人を思う気持ちの大切さは時を超えて普遍である。周囲で問題が生じたとき、私たちはまず言い訳を考えてしまう。だが本当に大事なことは、
すべての結果を自分が受け止めるという、この日蓮の覚悟ではなかろうか。(佐藤弘夫・東北大教授)』 ― H 22.12.20 読売新聞「今に問う言葉」
 私達は、昨年どう動けば良かったのか? 答えは・・・自らの責任に於いて、
「選択」するということ、えらびとることができたかどうか、ということです。何かを選択するということは、そこから生ずるマイナス面をも含めて、全てを背負う覚悟を決める、ということです。
 昨年の夏の酷暑さながら、日本国民ひとりひとりの心の猛
「暑」は、だれの責任でもありません。昨年が『変革・改良・刷新』の正念場でありながら・・・つまり崖っぷち、後が無いんダ! という、この覚悟が私達自身に実は無かったんだ、とは思われませんか?
 今年は七赤金星という星が中宮に回座する年、干支(えと)(かのと)卯・・・十干の(かのと)は、辛苦・辛酸・辛辣という熟語に代表されるように、万物が一新する厳しい状況を・・・十二支の卯は、門をむりに押しあけて中に入りこむ様子、つまり開門を、それぞれ暗示しています。押しあけた門が「幸せへの門」(喜び・潤い)か、はたまた「不幸せへの門」(不平不満・不充分)なのか・・・昨年は『変革・改良・刷新』の正念場であったはず、この
覚悟の度合いによって、その結果と私達自身が真摯に向い合わなければならない、それが本年です。
 日本人は古来、人知を超えたもの・目に見えないものへの畏敬・尊崇の念を、天皇という歴史上の具体的な人物を軸に、保ち続けてきた民族でした。目に見えないものへの畏敬・尊崇の念が、
自らを戒め、恥を知り、慎む心を育んできたことを、今や忘れかけているのかも・・・。




『棚の下にいなければ、落ちてきたボタ餅は受け取れない。思いがけない幸運が到来しても、それを手中にするには、地道な努力が欠かせないという意味だ。 〜〜〜日の当らない芸人も、一生に1、2回はチャンスがある。その時に、バットが振れるか? 〜〜〜振らなきゃ絶対当たんないんだから。それには普段から素振りを繰り返しておくしかない。〜〜〜 政権交代は民主党が〈棚の下〉で受け取る構えはとれていたからだ。・・・・ただ、最近の迷走ぶりを見ていると、素振りの回数は足りなかったのかもしれない』 ― H 21.12.17 東京新聞「筆洗」
 昨今の政情を想うと・・・・
『迷』。またもや〈 金と政治 〉に象徴された民主党政権の一年余りは普天間基地の問題に始まり、外交処理の不手際や諸閣僚の迷言を思えば、迷走に次ぐ迷走で1年が暮れていきます。
 年の始め、(かなめ)とすべきは
「変革・刷新」・「一事貫徹」と公言しながら、夏の酷暑さながら、心の猛「暑」に悲鳴をあげたのも事実・・・・。
 海鳴りのとどろく山陰の温泉場を舞台に、吉永小百合さん演じる芸者・夢千代がこんなことを語ります。「冬の日本海はきびしくて、沖に出る船は、みんなてんでしのぎです。他の船を助けることができません。」
 人生の迷いにせよ、苦しみにせよ、人はその舵とりを他にゆだねることはできません。・・・・
てんでしのぎの船の行方は、羅針盤を目安に自分自身が舵とりの主役です。
 年が明ければ心機一転・・・・また出航の時がそれぞれに訪れます。日蓮聖人は建長5年(1253年)、4月28日の朝、旭日に向われて初めて「南無妙法蓮華経」の御題目を唱えられました。「南無」とは、「私は至心に帰依します」というサンスクリット語の
ナモ
を漢字にあてたものですが、そこには「南ではない」=「北」という意味がこめられています。これは「北極星」・「北斗七星」の「北」です。その神格化された神様が北辰妙見大菩薩・・・・開運の為の羅針盤として、共々に謙虚に(こうべ)を垂れて新年をスタートしたいものです。