東日本大震災被災地義援・・・
本年春彼岸前に掲載しました・・・
あの日・・・3月11日、大震災・大津波・・・
大きな事を成し遂げる為に・・・
平成25年立春を過ぎて・・・
毎年恒例の総本山身延山久遠寺への・・・
一燈を提げて暗夜を行く




      東日本大震災被災地義援・慰霊参拝を終えて 

            『くやむなよ ありし昔は
              是非もなし
             ひたすら ただせ 当下(とうか)一念(いちねん)


江戸時代初期の儒学者 中江藤樹の言葉です。当下一念・・・今一瞬一瞬の一念、その場その場で最後まで最善を尽す。
 本年も9月初頭の東北地方大震災義援・慰霊参拝時、心に刻印した姿勢でした。
 人生は、心一つの置きどころとは言いますが、いかなる境遇・事態に置かれようとも、心を常に前向きに転じることに習熟・練磨することに心を配る。岩手県大槌町コラボスクール臨学舎(NPO法人カタリバ主催の放課後学習場)に籍をおく、ある高校二年の女子学生の心の傷と対峙した時、表現に窮する公憤を禁じ得ませんでした。

              
一燈を()げて 暗夜をいく
          暗夜を憂うること(なか)
         (ただ) 一燈を(たの)


 周囲を照らす
一燈・・・私にとって人生の羅針盤ともいうべき幕末の儒者 佐藤 一斎の人生観、彼は次の様な厳しい戒めも残しています。
一物(いちぶつ)の是非を見て、(しこうし)て大体の是非を問わず。一時の利害に(かかわ)りて、而て久遠(くおん)の利害を察せず。為政()くの(ごと)くなれば、国は(あやう)し。』・・・物事の是非を見る場合、大極からの視点を見失えば、又 その時だけの利害に固執して、後世に及ぼす利害を無視する為政者がはびこれば、その国の将来は危ない。
 2020年、東京オリンピック誘致決定?・・・バカげた事をするな!物事には優先順位というものがあるだろう・・・・・あの高校二年の女子学生の悲しみ、悲痛に象徴される修羅場、4畳間二間(ふたま)の仮設住宅での二年半を過ぎた生活・・・
打上げ花火で、一昨年平成23年の日本を象徴した『絆』が本当に保てるんですか?為政者・東電の幹部よ、恥を知れ!
 
「うっかり」「しっかり」は一字の差。・・・しかし、一字の差で日本国の()く手に対する評価、国際人としての真価が問われていることが何故解らないんだ!
 任重くして、又 道遠しの感をいなめません。人心の復旧・復興なくして、真の大震災復興は決してありえません。
 
「ある人問う、人 艱難(かんなん)に遭う、これ不幸なることか。曰く、艱難は またこれ事を経ざる人の良薬(ろうやく)なり。心を明らかにし、性を練り、変に通じ(ごん)に達する。まさに、この処にあって力を得る」・・・苦しみや困難は、未だ人生経験不十分なる人には、自らの性質を練り、いかなる変化・境遇の推移にも動ぜず、正しい(はか)りごとができる人生修養の最良の場であると。
 震災孤児・遺児よ、ガンバレ ガンバレ!
 
祈る・・・未来に(さち)多からんことを。 


 本年春彼岸前に掲載しました『住職の一言』には、初詣にて、妙見様に参詣の皆様方に、本年の動向と称してお話しさせていただいた内容の一節を概略次の様にしたためました〜 五黄土星(ごおうどせい)中宮(ちゅうぐう)に回座する本年・・・・易の言葉には、この年を称して亢龍(こうりゅう)()いあり』とあります。昇りつめた龍は、もはや降りる他は無いという意味です。五黄土星の「土」は、腐葉土だと考えて下さい。この「土」は、万物を育成し、物事を強力に推進する力を備える反面、腐敗・壊乱の作用も同時に強く働くということ、換言すれば、吉凶が最も顕著に表面化する暗示が、そこには在るということです。
 本年は、昨年に引き続き、自然界の背反作用(道理・原則にそむき、相容れない現象)が起きる年。更には特に風水害によって、国難にも等しいあの大震災による被害に追い打ちがかかることを銘記し、油断・(おご)り・慢心を慎む。人を見れば嫉視誹謗(しっしひぼう)し、周囲に向っては大言壮語(だいげんそうご)横行闊歩(おうこうかっぽ)
 私は以前、世の中には、
「自分で人生のレールをひく人」と「人がひいたレールを歩いていく人」の二通りがあり、私は後者の道を宿命として与えられたものだと、自分に言い聞かせてきました。しかし先代住職が他界し、まもなく13回忌を迎える今日、この二つの道は別々のものではなく、微妙に交錯していることに気づきました。
 釈尊もキリスト・孔子も独自の宗教・学問を生涯の課題として、一生を貫徹した偉人でした。しかし、釈尊・キリスト・孔子も最初から釈尊・キリスト・孔子であった訳ではなく、いずれもが人生の過程にあって、其々(それぞれ)の道を真摯に学び、先人の布石を自らが体得することによって、独自の道を創造していったのではないでしょうか?
 人生に一つのレールをひいた人は、その想念を強く、また熱く反復し続けた人であったこと・・・・一回通っただけでは自分のレールは決してひけません。ひかれたレールに乗っても、これは同じ事です。
 どちらの道に身を置いても、
一源(いちげん)三流(さんりゅう)という教訓を実践しなければ、レールをひくことも、レールに乗ることもできません。一源とは、誠実を意味します。誠実を源にして

          
一、汗を流す・・・・勤勉実直、一途・一心不乱に
                       自分の道に打ち込むこと。

          
二、涙を流す・・・・艱難辛苦(かんなんしんく)に耐え、人知れず
                       孤独の境遇に涙すること。

          
三、血を流す・・・・命をこめる、その道に命を
                       ゆだねる切ること。

松下幸之助に
『道』と題する一文があります。

            
自分には 自分に与えられた道がある
            広い時もある
            せまい時もある
            のぼりもあれば
            くだりもある
            思案にあまる時もあろう
            しかし 心を定め
            希望をもって歩むならば
            必ず道はひらけてくる
            深い喜びも そこから生まれてくる

 本年も間もなく、昨年同様、東日本大震災東北被災地義援・慰霊参拝として、岩手県・宮城県へと足を運びます・・・・目に見えるものばかりを追っていると、精神的弛緩(しかん)(だらしなく、ゆるむこと)を招くものです。目に見えないものが、目に見える道・世界を造り出していく・・・・大言壮語の横行闊歩を厳に慎み、日々の一念に着実な一歩を刻みつつ、又、真の震災復旧・復興もこれからでしょう。


  あの日・・・3月11日、大地震・大津波・原発事故、三重苦の中で死者2万人以上、今だに死闘を続けている避難民は30万人を超すといわれています。そんな中で、まもなく3度目のお盆を迎え、そして3回忌。
 常日頃、国を譲ることすら忘れたような政治家たち、権利の主張のみに汲汲(きゅうきゅう)として、義務の遂行をおろそかにしたような国民の(てい)たらくぶりに(ごう)を煮やしていた石原慎太郎前都知事が
《天罰》と叫んで物議をかもしたことは記憶に新しいですネ。教養人でもある石原氏が意図したのは、平和の中で安逸を(むさぼ)る私達国民に対する警鐘であって、決して被災者に対して、その様な表現をしたわけではありません。マスコミ本来の役割は、石原発言が誤解され易しと感じたら、(いたずら)にあおることではなく、筆の力で正しく・冷静に()くことこそ、その本義と言えるでしょう。
 イギリスの歴史学者アーノルト・トインビーに次の様な指摘があります。「一つの国が滅びるのは戦争によってではない。天変地異でもなければ、経済的破綻(はたん)によってでもない。国民の道徳心・宗教心・自国の歴史への誇りが失われた時、その国は滅びる」この国家興亡の原理は、今の私達一人一人が正に心に刻印すべき
といえます。
 哲学者 森 信三先生の言葉に『逆境は、神の恩寵的試練』・・・(ひら)たく言えば、天は試練をあたえて、その人を試す、となるでしょう。あの大災害を転機として、戦後、日本の大きな覚醒の過渡期をむかえていることは確かです。
 森先生は時処位(じしょい)の自己限定』という、ちょっと難しい教えを説いています。私達は誰でもが、必ず一つの時代・一つので・一つの位(使命・役割・立場等)を生きています。この与えられた時・処・位を自らの正念場として、不平・不満を言わずに、尽力し続けること、自己の成すべきを、コツコツと、一歩一歩務め上げていくこと、変革し打破していくこと、そして3・11も決して風化させてはなりません・・・今一度、強調します『天は試練を与えて、その人を試す』と。
 作者は不明ですが、一つの詩を是非心で噛み締めてみて下さい。

                 
  生涯の旅路

             私は私の一生の旅路において
          今日という この道を再び通ることはない
               二度と通ることはない
           二度と通らぬ 今日という この道
             どうして うかうか通ってなろう
           二度と通らぬ 今日という この道
           嘲笑(ちょうしょう)されて そこで反省するのだよ
            (しか)られて そこで賢くなるのだよ
            (たた)かれて そこで強くなるのだよ
           一輪の花でさえ 風雨をしのいでこそ
                美しく咲いて薫るのだ
             侮辱(ぶじょく)されても 笑ってうけ流せ
           蹴倒(けたお)されても 歯をくいしばって忍べ
               苦しいだろう・・・・・
               くやしいだろう・・・・・
               しかし君、この道は
             
尊い といわれた人たちが
             必ず 一度は通った道なんだ

 


 
                
大きな事を成し遂げる為に
               力を与えて欲しいと
               神仏に求めたのに
               謙虚さを学ぶようにと
               弱さを授かった

                              ・・・神仏の慮(おもんばかり)
とは、()てして凡夫の意の及ばぬところにあるものです。
 一輪の花にも、長き忍苦の歴史があるように、私達の人生にも、人智及ばぬ、紆余曲折(うよきょくせつ)を試練として授かることは、人の生涯の風景にはつきものです。
 新緑が美しく、風薫る爽やかな5月に、霊山 七面山へと登詣(とけい)しますと、尚一層、人生の心模様に想いを馳せること、一入(ひとしお)です。
 安岡正篤(まさひろ)先生(漢学者)の指南に、五悪
五善五美という教えがあります。
 信仰の真随を自らに問う時、まず心すべき指針とも言えましょう。

                     五悪
           仕事がよく出来て、心(けわ)しいものが一。
           行が偏行して、しかも頑固なものが二。
          言うことが実は偽で、しかも口が達者なのが三。
         くだらぬことばかり覚えて、しかも博識であるのが四。
          悪勢力に()いて、しかもよく恩を売るものが五。
             ・・・いずれも世を乱るものである。

 
                   五善
              人として常に何が善いかを問い。
                   親しい仲を問い。
                 礼儀を尽すことを問い。
                   政治の(かなめ)を問い。
                患難(憂い・心配事)を問う。
              ・・・
これ実に人間味豊かな五善である。

 
                   五美
                 人を恵んで厭味(いやみ)なく。
               労して(勤め励む)(うら)みず。
                   欲して(むさぼ)らず。
                   泰(ゆた)かで(おご)らず。
                 ()あって(たけ)からずと。
              ・・・
人は誠にかくありたいものである。

 まず自らを整え、又、自らの周囲にそれを及ぼし、荒涼たる世間の一隅に緑の安らぎの場をつくる・・・正に七面山の新緑が私に教えてくれたことでした・・・良き家風、良き職場の気風をつくれないで、そして、良き見識を(つちか)わずして、どうして幸福(しあわせ)
を自分に呼び込むことができましょうか。

           求めたものは1つとして与えられなかったが、
          願いは全て聞き届けられていた。
          言葉に表されていない祈りが叶えられていた
          のだ。
          ああ〜、私はあらゆる人の中でもっとも豊か
          で、祝福されていたのだ。


 是非、
真の信仰とは、かくありたいものだと切に思ったことでした。


  平成25年立春を過ぎて、心に念ずる言葉がある。・・・『切に(おも)うことは、必ず()ぐるなり。切に憶う心をおこす為には無常を憶え。念々死去す。畢竟(ひっきょう)じて、しばらくも留まらず。(人は時々刻々と詮じつめれば死につつある)しばらく存ぜる間、時光を(むな)しくすごすこと勿れ。(今、こうして生きている時間を大切にして、常に己を練磨せよ)』―道元禅師―。『憶う』とは、心に刻みこんで、決して忘れない、という意味です。
 私達が半歩・一歩でも前進する為には、反省自反尽己(じはんじんこ)・・・人に向ける指を、己に向けなおし、己の与えられた、その場で最善を尽す)の厳しさの度合に正比例することを銘記すべきでしょう。
 道元禅師様のこの御言葉は、茫漠(ぼうばく)たる心の荒野(あれの)にポツンと一人立たされた時、いつも想起する金言(きんげん)(模範とすべき尊い言葉)です。
 金言といえば、平成24年を象徴した漢字一字は、何と
『金』・・・?一年を象徴した漢字がデスヨ!
 物事の新たな『視野』を見出す、その為には、「ニーズ」・「望み」を抱くこと・・・これは、どなたにも共通の出発点であることが、必ず必要条件となるはず。次は「作戦」、それを決心・決断したら、統系だった「探求」、その探求は、「持続心」(継続を旨として、絶対に屈しない覚悟)がポイントです。その為には、知識・アイデア・判断力が必要です・・・いかなるジャンルの仕事にも共通した普遍の法則と言ってもいいでしょう。又、反面、成功・目的を達成した企業・組織・一個人に至るまで、その衰退・成長を妨げる第一の要因は、
『成功から生まれた傲慢(ごうまん)であることも、決して忘れぬよう銘記すべきです。
 日本は、いまだ未曾有の大災害の渦中にあるにもかかわらず、私達は、いとも簡単に《復旧・復興》と口にします。しかし、よくよく深思してみて下さい・・・目を過去に転じてみれば、わずか68年前の3月10日、東京を中心に全国で、米空襲を受けて、一夜の内に、約24万人もの方々が尊い命を失っています。その惨状に追い討ちをかけたのが、広島・長崎への原爆の投下。その後の7年間、日本はアメリカに占領され、国家主権を奮われ、あらゆる教育・言論がGHQ(連合国軍総司令部)によって統制されました。それが、いつわらざる歴史の事実です。決して虚飾はされません。
 あと、1ヶ月もすれば、あの大震災より3回忌。にもかかわらず《復旧・復興》は絵に書いたモチ、遅々(ちち)して進まず、この寒空の(もと)、多くの被災された方々が苦しみの中にいる現実、そして2005人もの子供から、かけがいのない父・母を奮っていきました。子供達の平均年齢は12.1歳。両親共に失った孤児は241人にもおよびました。
       
『如来の(ころも)とは柔和忍辱(にゅうわにんにく)の心(これ)也』
                       ― 妙法蓮華経法師品第十 ―

 慈悲の心と、あらゆる困難に耐え忍ぶ心、これこそが本年私達が心すべき大要といえます。
 詩人の堀口大学が、こんな言葉を残しています。過去は、怠け者の幻だ。未来は馬鹿者の希望だ!・・・・過去のいきさつに惰性でひきずられること無く、未来の甘い夢に遊ぶことも無く、冷徹・客観的視点で、
〈今・現在〉()つめる、そして臨機応変な対応・・・いつの世でも変わらぬ人生の要諦(ようてい)であると同時に、今後の日本創生の為には、是非必要不可欠なる条件であるといえます。
 私達にとって、小さな苦しみは、愚痴しか生み出しませんが、大きな苦しみ・苦難は、時として知恵を生み出します。
 本年は五黄土星(ごおうどせい)という星が中宮(ちゅうぐう)に回座する年・・・多事・多難が、その暗示としてあることは(いな)めません。
                                        ― 次回に続く ―




 毎年恒例の総本山身延山久遠寺への参拝を、本年は4月に実施(トップページ「お知らせ」を参照)することとしました。毎年参拝を実施する、その意図する根拠・理由はお釈迦様の残された御言葉・・・私にとりましては、人生の「道しるべ」・「杖言葉」ともいうべき『ダンマパダ(法句経(ほっくきょう))』に由来します。この経典は、最古の経典といわれ、お釈迦様の生前のお声を心耳で聞き取ることができる尊い経典の1つです。
             
 『精進こそ、不死の道』
             (はげ)みこそ 不死(ふし)の道
             放逸(ほういつ)こそ 死の道なり
             いそしみはげむ者は
             死することなく
             放逸(おこたり)にふける者は

               
生命(いのち)ありとも
             すでに 死せるなり

 
                              ― 法句経21 ―
 人生適当に、その場しのぎで、形さえつくろえばいい・・・放逸(おこたり)は、死んでいるのも同然、との御言葉は現代人にとって厳しいひと言ですネ。「私の信念は何だろう?」・「私のつとめは何だろう?」・「私の志とは何だろう?」。常に自らに問いかけてみる価値ある疑問符だとは思われませんか?
 初詣・節分会・初午と年初行事は、あっという間に過ぎ去り、まもなく春のお彼岸会、お彼岸会のひととき、沈思黙考一人静かに
「自分の使命・天命」に心眼を向けてみてはいかがですか。
 本年の年賀状に
《不幸の三定義》なるものをしたためました。
一、決して素直に「ありがとう」と言えない人
一、「ありがとう」と言っても
恩返しをしない人
一、「ありがとう」と唱えただけで
恩返しはできたと思っている人
 恩という字は
(もと)を知る「心」と書きますネ。今日(こんにち)只今(ただいま)ある自分の(もと)に感謝するが、お彼岸を迎える“こころ”です。
 今年の春のお彼岸は、私達の同胞を、さらって行った大震災から3回忌を迎えます・・・私達にとって小さな苦しみは、愚痴や言い分け・弁解しか生み出しませんが、大きな苦しみ・艱難辛苦(かんなんしんく)は、時として知恵を生み出すものです。
 本年、五黄土星(ごおうどせい)中宮(ちゅうぐう)回座(かいざ)する年・・・あの大震災から私達が学ぶ知恵とは、その結論を申し上げれば、易の言葉に五黄土星を称して
亢龍(こうりゅう)(くい)あり』とあります・・・昇りつめた龍は、もはや降りる他ありません。
 五黄土星の
「土」は腐葉土だと考えて下さい。腐葉土は、万物を育成し、物事を推進する強力な力を備えた反面、恐いのは腐敗・壊乱の作用も同時に強く働く、ということ、つまり吉凶が最も顕著に表面化する暗示が、そこには在るということです。
 私達国民一人一人が、時代に不適確な事象に対して、いやでも目を向けざるを得ない意識改革に焦点は集中します。・・・本年は昨年同様、風水害に加えて、自然界の背反作用が起きる年。油断・慢心は、厳禁・・・あの東日本大震災に由る大災害は決して他人事ではないかもしれませんよ!
 中国古典の『管子(かんし)』に次の様な一句があります。
  「国に四維(しい)あり(国家を維持するには、4つの大きな綱領がある)。
  一に曰く、
(国家・社会の秩序を維持する規則)。二に曰く、
  (人のふみ行う正しい道理)。三に曰く、
(れん)(善悪・節度を見極める)。
  四に曰く、
()(恥を知る)。」
現代人は
損得を基準に生きている人が多いと思いますが、本年は特に尊徳を基準に物事を判断する年でありたいものです。
 私達の命の源(祖先の御魂(みたま))に想いを馳せる、まもなく迎える春の彼岸会に、この
『四維』と真剣に対峙(たいじ)する静かな一人に時間をお互いに持ちましょう。




  一燈を提げて暗夜を行く 暗夜を憂うることなかれ ただ 一燈をたのめ
                                    ― 佐藤 一斎 ―
 被災した人、又そうでない私達も、あの大震災は日本人にとって一体何だったのか?・・・・これから私達が全身全霊をもって、何ができるのか?・・・・まずその為には、被災地の現場の真実を知ることから始めなければなりません。次に復旧を信じて共に歩むこと。・・・昨年九月、東北被災地義援慰霊参拝は、岩手県大槌町に始まり、震災前であれば風光明媚な陸中海岸国立公園を陸前高田市への車中、読経・唱題を絶やさず、復旧が遅々として進まない情況を目の当りにし続けますと、無念の想いで旅立って行かれた方々の様々な無言の遺言の声が私には聞こえてまいりました・・・。
 殺伐とした荒れ野を連想させる陸前高田市に入り、何のアポもとらずに訪れた山の高台にプレハブで仮設された市役所・・・215名の職員の内、112名が亡くなられたにもかかわらず、慌しく立ち働く職員の中で、奇しくも総務部災害対策室長との面談がかない、心よく応対してくださった談話の中で、被害死亡者数1728名、今だに行方不明者は32名に及ぶ現状もさることながら、瓦礫処理に最低3年、その後防潮堤再築にこれまた3年、復旧に至る道のりは、最低8年〜10年を必要とする等との説明に愕然としながらも、その後、旧市役所玄関前にて慰霊供養をさせていただきながら、その内部が震災後当時そのままの有様に、全く現状の報道が、その真実の姿を伝えてこなかったことに対してこみ上げて来る涙と共に、いとも簡単に「復旧・復興」という言葉を口にしていた自分自身、そしてそれを増長せしめてきた為政者の無責任さに、底知れぬ憤りがこみ上げて来るのを禁じ得ませんでした。この感情は、次に参拝した石巻市立大川小学校の慰霊祭壇前にて、深い想いを今生に残して旅立って行った67名の児童への供養を一心にさせていただいた時には、その苦しみは筆舌に尽し難いものに変っていました。
 震災は今尚、生々しい現実であるにもかかわらず、被災地以外の私達からは、どんどん忘れ去られようとしています。《平和ボケ》の日本に、私達其々の立場に於いて、自分自身にクサビを打つ勇気を持とうではありませんか!
 震災後、大多数の国民が再認識させられたのは、《あたりまえ》の日常がいかに尊いか、ということ。多大な恵みを受けつつ、生かされて、生きている実感・・・。
 物事を成就する要諦は、《発心・決心・持続心》この3つです。今回の大震災によって、地域的温度差はあったとしても、その真実の姿を如実に実感することで、国民の『絆』は強化されたはずです。後は継続・持続する根気を持つこと。
 テレビで放映された2年を経過した3月11日の大震災の現場の風景は、正に殺伐たるものでした。復旧・復興の正念場は終ったのではなく、これからが始まりと受け止めるべきでしょう。
今年も、昨年に引き続き「私達の憶い」を夜藤の香りと、胡弓の調べに乗せて、被災地がせめて復旧に至るまでは、私が直接被災地へ義援慰霊参拝することを、自らの「行」と誓願致しました。妙見宮大祭(5月4日(土)PM6:00〜大震災物故者三回忌追善チャリティーコンサート・5日(日)昼12:30〜には祈震災復興と称して御神輿の渡御も予定しています。)一人でも多くの皆様方に御協賛賜らんことを切に念じて・・・・
                                      南無妙法蓮華経