支えられて・・・
東北被災地義援・慰霊参拝を終えて・・・
人生という山登りは、・・・
足利フラワーパーク園長・・・
どんなに荒涼にして・・・
切に思うことは・・・
干支は癸巳・五黄土星中宮の本年・・・
之を如何せん。之を如何せんと・・・




                     
                    『支えられて』


                 座っていると座敷が
                 私を下から支えてくれる
                 廊下に出ると廊下の床が
                 私を支えていてくれ
                 便所に行くと便所の床が
                 私を支えていてくれる
                 大地に下り立つと
                 大地が私を支えていてくれる
                 どこへいっても どんなに背いてみても
                 その私を 待ち 抱きとり
                 支えつづけてくれるものがある

                 みんなが
                 無視し 見放しても
                 無視することもなく 見放すこともなく
                 支えつづけてくれるものがある

                 どこへいっても
                 何をしているときも
                 忘れているときも
                 私を支えてくれているものがある

                                     ― 東井 義雄 ―

 江戸後期、佐賀藩の儒者 古賀穀堂(こがこくどう)に、こんな自警の言葉が残っています。『屈辱・坎懍(かんらん)(志を得ない)・薄命・数奇(すうき)(不幸せ、不運)、千辛万苦(せんしんばんく)(様々な苦労、難儀)、皆天命に任す。』
 天命(天より与えられし使命・役割) 〜 年の暮れ、ことさらに自省の念深きは、この一点に尽きます・・・本年の賀状にて、
真楽(しんらく)(穏やかで、ゆったりとした心境に泰然自若として安じ、事に処する)と自戒しながら、又、『支えられて』今が在る自分を痛感しながら、何の恩返しも充分にでき得なかった一年を恥しく(おも)います。
 坊主顔(ぼうずがお)・・・「ほんもの」ではない自分自身であるにもかかわらず、自分に対して言わなければならないことを、戒めねばならぬ事を、私は坊主顔して、他人に言い続けてきました。横に転がったコップには、何度水を注いでも(むな)しい。立っているコップでなければ、注がれる水を貯えることはできません。自問自答・・・心に躍動ありや?。感動ありや?。自省ありや?。陰徳の尊さを、今一度かみしめたい。そして、常に前向きな自主性ありや?。
 『かつてない困難からは、かつてない革新が生まれ、かつてない革新からは、かつてない飛躍が生まれる』
                                   ― 松下 幸之助 ―
 〜 三碧木星が中宮(ちゅうぐう)に回座する来るべき平成27年度、心に深く刻印した言葉でした。



 
合掌
 本年度も當山有縁の皆様方より、被災地への《思う心》・深き愛情故の御支援を賜り、現地へと一人足を運ばせていただきました。
 「心ここに在らざれば、()れども見えず、聴けども聞こえず、(くら)えどもその味を知らず」 ― 心がそこになければ、視ていても見えず、聴いていても聞こえず、物を食べてもその味は分からない、中国古典『大学』は、私達の良心が麻痺した状態を、その様に表現しています。
 良心が麻痺した精神状態から脱皮する為には・・・

  一、真摯(しんし)に生きる
  一、今日只今(こんにちただいま)に生きる
  一、学び続ける
  一、知恩報恩 ―受けた恩を忘れず、必ず返そうとする生き方

 震災当初、〈日本赤十字社〉の正に無責任極まる募金活動に想いをはせると、〈あしなが育英会〉・〈NPO法人カタリバ〉の活動意欲には、少しでも多くの支援を、と考えさせられます。前記『大学』が教えるところの良心の麻痺状態から脱皮する為の四項目に焦点を当てた活動ともいえましょう。その趣旨そのぶれない軸は、大震災という国難に対する意識が、ややもすれば忘却されつつある昨今の国民感情への公憤と共に、自分自身が義援活動・物故者慰霊を自分の存在そのもので自然と伝える事のむずかしさ、厳しさを痛感させられます。
 義援活動を忘却せず、更に継続させる心を、日本人の文化として育て、根づかせる。
 「天は試錬をあたえて、その人を試す」・・・先人の箴言(しんげん)と受け止めたい。

    
        根を大切にすれば
              木は育つ
           そして 芽をふき 伸び花ひらく
              見られなくても
              ふみつけられても
              お日様があたらなくても
              耐えられる根っこ
           努力はだれでもするヨ

              
その努力の上に『ガマン』するという
        
   辛抱(しんぼう)を立ててごらん
        
   そのの上には 必ず花が咲くよ・・・
   
        《君らしい》花が!

 地元の我が銚子幼稚園平成25年度卒園児へ伝えたメッセージを、震災からの復旧・復興を将来(にな)う強い君達被災児へ・・・・・正念場は、これからだヨ。
 
『ガンバッペシ!』(宮城県女川町の方言?)


@平成23年4月14日 付 (宗教法人からの支援金)
 
・100万円    (銚子市へ)
 ・100万円    
旭市へ)
 ・300万円    (日赤を通して東北地方へ)


A平成23年9月29日 付
 協賛金
 ・1,002,988円  協賛者一同・寺族 並 山務員一同(日蓮宗宗務院当局へ)

B平成24年9月4日 付
 岩手県大槌町、日蓮宗 蓮乗寺再建支援金
 
・1,031,885円  (協賛者一同・寺族、山務員・幼稚園職員一同)
 ・  118,115円  (宗教法人からの支援金)

※憲法20条・89条の原則上、政教分離にて宗教法人への助成金は、一切国からなされていません。今度(このたび)、支援金を届けさせていただいた蓮乗寺様は、檀徒161名が津波にて他界されているにもかかわらず、檀徒一丸となって心の拠り所としての、寺門再興に尽力なされています。その信念に共鳴して支援金を届けさせていただきまた。

C平成25年2月23日 付
 日蓮宗宗務院 同心会を介して震災孤児・遺児への義援金
 ・   80,122円  (協賛者一同・寺族・山務員・幼稚園職員・園児・保護者)
 (学)妙福寺学園銚子幼稚園園児・保護者・職員からの千羽鶴
                                (応援メッセージを添えて)


D(1)平成25年8月24日 付
  岩手県山田町日蓮宗善慶寺への復旧義援金
 ・  200,000円

 (2)平成25年9月3日 付
  岩手県大槌町・日蓮宗 蓮乗寺御宝前
 ・   50,000円

 (3)岩手県大槌町コラボスクール臨学舎
  震災孤児・遺児を中心としての中学二年生〜高校三年生を対象としての放課後
  学習場
 ・  500,000円 (主催NPOカタリバへ、教材・文具・備品等購入の為)

 (4)平成25年9月4日 付
  岩手県陸前高田市こども図書館「ちいさいおうち」
  幼児・小学校低学年を対象としての絵本図書館
 ・  300,000円
  (主催NPOうれし野こども図書室へ日本人偉人伝記絵本購入資金として)
 ・千羽鶴 (応援メッセージを添えて)

 (5)平成25年9月4日 付
  宮城県女川町コラボスクール向学館
  震災孤児・遺児を中心としての、小学校一年生〜中学三年生を対象としての放課
  後学習場
 ・  500,000円 (大槌町臨学舎と同目的の為)

 (6)平成25年9月5日 付
  宮城県仙台市「あしなが育英会」 仙台東北事務所へ
 ・  663,742円 (内、有志3名より250,000円)
  (仙台市・石巻市・陸前高田市へのレインボー・ハウス震災孤児・遺児心のケア―
   ・ハウス建設義援金として)
 ・  136,258円 (宗教法人からの、同目的に対する支援金)

E(1)平成26年9月2日 付
  岩手県大槌町・日蓮宗 蓮乗寺様へ  本堂・客殿・庫裡 復興)
 ・  200,000円

 (2)岩手県大槌町
NPO法人カタリバ コラボスクール臨学舎へ
 ・  500,000円
  震災孤児・遺児を中心として、中学2年生〜高校3年生を対象として放課後学習   場へ、文具・備品等購入の為

 (3)平成26年9月3日 付
  宮城県女川町
コラボスクール向学館へ、大槌町臨学舎と同目的の為
 ・  550,000円(内、有志1名より100,000円
  (学)妙福寺学園銚子幼稚園園児・保護者・職員より50,000円
 ・千羽鶴(応援メッセージを添えて)

 (4)平成26年9月4日 付
  宮城県仙台市「あしなが育英会」  
仙台レインボー・ハウスへ
 ・  800,000円(内、有志1名より100,000円。宗教法人より45,571円)
  仙台市・石巻市・陸前高田市各レインボー・ハウス竣工なり、今後の震災遺児ケ   アー・ハウス活動資金の一助として。

 寺族は無論のこと、特にその趣旨に御協賛いただきました檀信徒有縁各位、幼稚園々児・保護者各位、山内・幼稚園職員の皆様方には、今後とも『発心・決心・持続心』の精神を(もとい)に、継続して「布施行」の実践・・・當山の仏法修行の指針と心得て、
《させていただく》その法悦を共有してまいりましょう。
 尚、當山ホームページトップの『震災慰霊参拝記録』には、現地写真をカラー版にて追加掲載させていただきましたので、是非御高覧願います。

                                                    再拝

                              妙見宮
                                海上山 妙福寺
                           
      現主 廣野 観匡



     
     人生という山登りは、その繰り返しの
                   連続だナァ〜・・・。

      一つの山を登れば
        彼方(かなた)にまた大きな山が控えている
      それをまた登ろうとする
        力つきるまで・・・

 正念場という言葉は、歌舞伎の世界からできたそうだ。ここぞという
大切な場面を意味する。
 振り返ってみると・・・平成16年 第3期園舎新築、平成18年 第4期園舎新築、平成20年 学校法人化認可、そして本年7月、また一つ山登りが始まった・・・築40年以上になる講堂は既に老朽化、園児達の安全性・便宜性と共に、建築基準に鑑みて公益法人の責務として有事に備えての避難場所として、その耐震性をも充分に考慮したものを、と考えている。
 一瞬一瞬を正念場とする覚悟と気概を持って前へと進みたい。園児達は必ず、その(うし)姿(すがた)を観て成長していってくれることを信じている。
《君らしく》・・・卒園していく園児達へ、毎年銚子幼稚園が送り続けてきたメッセージである。

       
根を大切にすれば
         木は育つ
       そして芽をふき、伸び花ひらく
         見られなくても
         ふみつけられても
         お日様があたらなくても
         耐えられる根っこ
       努力はだれでもするヨ
         その努力の上に
『ガマン』するという
       辛抱(しんぼう)を立ててごらん
       その(ぼう)の上には 必ず花が咲くよ・・・

       
《君らしい》花が!

 
ナンバーワンよりもオンリーワン、その為には根に対する感謝と報恩の自覚が不可欠である。連綿として続く命の根の連鎖・・・私達は簡単に先祖という言葉を口にするが、その数たるや想像をはるかに絶する。
 命の根は祖父母の代、つまり2代前で4人、5代前で32人、10代前で1,024人、それが20代前にさかのぼると1,048,576人、30代前になると1,073,741,824人・・・何と10億を超えるんです!その内のたった一人でも命の根の連鎖からはずれたら、
今 ここ自分自身と呼べる命は存在しない。知ると知らないとにかかわらず、気の遠くなる様な命の根を積み重ね、私達はその重みを背負って今 ここ生きているということ。
 日本人は古来、年に一度先祖が黄泉(よみ)の国から私達のもとへ帰って来る、その美意識が迎え火・送り火という哀愁を帯びた盆行事をうみ、同事に
(いえ)という観念から人としての絆をも育ててきたのではなかろうか。
 仏教は過去に
〈葬式仏教〉揶揄(やゆ)され、あざけり笑われた時代があった・・・現代の世相は、その〈葬式〉すらもが、家族葬自由葬直葬という美辞麗句のもと軽視されつつある。故人の・・・先祖の言うに言えず、語るに語っていけなかった無言の遺言を聞き取っていく場、その感性の復活を是非とも期したい。その為にもお互いに立志照隅(りっししょうぐう)(志を立てて、今日・只今、自分が置かれている立場・身の上を素直な気持で照らし出してみる。換言すれば一人一人が、その場に()(ぶん)をわきまえ尽す)の心棒を再建して、お盆を迎えたい・・・多くの命の根に対する報恩の為にも。
 報恩とは、
「一源三流」(いちげんさんりゅう)の実践に他ならない。
 一源とは
誠実・感謝を源として

 一、
汗を流す(勤勉)

 二、
涙を流す(忍耐)

 三、
血を流す(命を込める)

 八月十六日には、心に送り火をたいて、多くの先祖の御霊(みたま)への
「おもてなし」を心掛けられ、盆施餓鬼法要(午後1時より)に参拝されたし。

 



 
 足利フラワーパーク園長 樹木医 塚本こなみ先生他関係者の真心のこもった藤治療は、その生命(いのち)に新たな息吹をあたえ、今年の花房は何と最長190pにも達しました。その中で、恒例の震災復興を祈る胡弓チャリティーコンサートは、300名の有志と、その憶いを夜藤の香りと共に被災地へ届けることができましたことは、お寺のあるべき姿として何よりも有難いことでした。
 本年も間も無くお盆・・・何と時の過ぎ去るのは早いものか、またその過ぎ去っていく時間の中で、人と人・気持ちと気持ちのキャッチボールは、仮に平凡単調であっても、何と貴重な人生の一幕であることか! 〜 忘れ難い宝に想えてなりません。
 日々、小事の積み重ねを根気よく継続していくことこそが、非凡にして得難い、人生の演劇とも言えましょう。
 尊いご縁あって入会しました政経倶楽部連合会(設立理念の原点は松下政経塾)も設立10周年記念例会を向え、その
基本理念・・・政経倶楽部は

 一、相手を認め合い互いに必要としあう
『共生文明の創造』を目指します。

 一、国民の意識レベルを向上させる
『高徳国家の建設』を目指します。

 一、世のため人のために働ける
『公益経済の確立』を目指します。

 以上、3つの基本理念を当日全国の支部より出席された115名の会員と共々に声高らかに唱和して開催されました。その基調講演は、
「政経倶楽部の原点・大局・本気・徹底 〜 経営者に求めるもの」と題して、主席顧問 林 英臣(ひでおみ)先生(松下政経塾1期生。東洋・日本思想家にして、松下幸之助翁の直弟子)よりいただき、その内容は身震い、と形容せずにはおれない一種独特の《揺らぎ》を禁じ得ませんでした。

      
原大本徹(げんだいほんてつ)・・・

 
点 = 人生の・素志。
      重要な決断は、原点より導かれる。

 
局 = 人生の。我が事と思う、人としての器量の広が
      り。

 
気 = 立志(考え方)として、1つのに集中させる。

 
底 = 成功の要諦は、小事を枝葉が繁るが如く、
      積み重ね継続することにある。

 
私にとっての、〜 僧侶としての私にとっての原点(人生の種・素志)とは・・・そもそも何だったのか?
 そこにまず想起されたのは、我が祖 宗祖日蓮大聖人の最初にして最後の心棒ともいえる
立正安国(りっしょうあんこく)(正法たる妙法蓮華経を立てて、国を安ずる)の精神でした。
 碩学(せきがく) 安岡正篤(まさひろ)先生の教えに、政治の四患(しかん)(四つの病弊)なるものがあります・・・

 一、() → 偽善・うそ、いつわり。

 二、() → 私利私欲。

 三、(ほう) → 放逸・無礼・無責任。

 四、(しゃ) → 贅沢・慢心。

 日蓮大聖人の立正の
(しょう)の精神とは、換言すれば、反四患の精神とも言っていいのではないでしょうか。
 私は、それこそ
《揺らぎました》・・・日蓮大聖人の末弟・愚弟として、そもそもこのままでいいのか?
 質疑応答の席上、諸先生方、また全国各支部長にお尋ねしたことが1つ・・・僧侶として現代に生きるかぎり、寺の大小を問わず、当然寺門運営・経営を無視することはできません。各支部に会員として僧侶は何名いますか?・・・
皆無。 〜 えぇ−、1人もいない!また《揺らぎました》。この場に、私は居てはいけない存在だったのではないか?反面、宗教界は将来の路線から既にはずれてしまっているジャンルに属してはいないのか?非常に狭量にして封建的・・・。正に自省の場であると同時に、奮起一番、心にカンフル剤を打たれた希有な一瞬でもありました。
僧侶はもっと自在でありたい。自在にものの見方を変える心の広さを持たねば・・・・・。




 
 どんな
に荒涼にして、索莫たる世の中にあっても、あわてず・うろたえず淡々として、藤の花すだれの如く・・・
        
下がる程
          人は見上げる
         藤の花  
    (先々代住職座右の句)
謙譲の美徳を忘れてはなるまい。
 人はどこから来て、どこへ帰るのでしょうか?・・・樹齢750年以上に及ぶ、あの優美にして自然体の藤の花と真摯に対峙して観て、声なき声に耳を澄ましてみてはいかがでしょうか?
 いくつになられても、小さな頃のの夢・希望を言える人、半歩でも一歩でも前へ進める人は素敵だなァ〜!・・・是非とも當山の境内にお越し下さい。手の中に握っていた石コロが、実は輝く宝玉であることに気づくかもしれませんヨ。
 畏怖・畏敬の念を時に忘却しつつある現代人である私にも、為す(すべ)なく、全てがむなしく、無意味に思われて身動きできず悶々とすることが度々あります。「偽」の世界に習慣的に安住してしまっている私達には、先人の知恵・真心・誠実・人情の暖かみ・生きる姿へのロマンが無きに等しい場面に遭遇した経験を誰でもがお持ちでしょう。
 開運北辰妙見大菩薩は、北極星を神格化した神霊にして、人生の指針を与えてくださることは以前にもふれましたが、本音を言いますと、今だ浅学非才な私には、「これ!」と断言できる明確な道標(みちしるべ)・行く手を照らす断固たるゆるぎなき信念・・・まだまだ程遠い感をいなめません。
 至誠の極地立志照隅(りっししょうぐう) ― 志を立て自分のいる場所を照らす。換言すれば誰でもが与えられたその場になくてはならぬ人となる、最後は世の為・人の為に、という謙譲の美質が人生を分ける。どこへ向って邁進すれば當山先師・先々代(祖父)・師父への報恩たり得るのか、又、僧侶としての道念に叶うのか?
 宗祖日蓮大聖人・松野殿御返事に曰く『人久しといえども百年には過ぎず。其間(そのあいだ)の事は(ただ)一睡の夢ぞかし。受けがたき人身(にんしん)を得て、たまたま出家せる者も、仏法を学し謗法(ほうぼう)の者を責めずして、(いたずら)に遊戯雑談のみして明し暮さん者は、法師の皮を()たる畜生なり 〜 法師と云う名字を盗める盗人(ぬすびと)なり。恥づべし恐るべし。』5月3日は、優雅な藤の香りの下、吟遊詩人 芳晴(よしはる)さんの澄んだ歌声と胡弓の音色(ねいろ)が天空高く舞い上り、被災地の我が同胞の心のひずみに、癒しとしてとどけられますことを・・・切に切に願って。
 題して『
熱き憶い(憶→心に銘記し、決して忘れない)・・・とどけ被災地へ!』



  
    
『切に思うことは 必ずとぐるなり。
                   
  切に思う心を おこすためには
                 
無常を思え。』


 禅門 曹洞宗開祖 道元禅師様のお言葉です。
無常・・・常ならず、現代の言葉に換言すれば、危機意識とも訳せましょう。すぐれた人材と常人との差は何か?・・・いろいろな価値基準があろうとは思いますが、その一つは危機意識の有無、安きに居て、危うきを忘れるか、忘れないか、その差である、とも言えます。昔から「小人閑居(しょうじんかんきょ)して不善をなす」と言われるように、我々凡人暇があったらろくなことをしません。「仕事が忙しい忙しい」と文句・不平を言うまえに、喜んで仕事をする気概をもちたい。
 組織社会は無論のこと、私達一人一人の人生行路に於ても、常に危機意識と対峙する時、慢心・油断・傲りを退けて、
生命(いのち)を創造していくことができると思います。
 
生命(いのち)の創造・・・當山には、樹齢800年におよぶ藤の木が危機意識を宿して一所懸命に生きています。本年も、足利フラワーパーク園長 藤の名医 塚本こなみ先生の御尽力をいただき、藤の抜本的治療が施されましたが、生命(いのち)の創造は無限であることを想起させられました。
 生命(いのち)を耕す鍵は私達の日常のいたる所に遍在していることを痛感させられます。

 脚下照顧(きゃっかしょうこ)・・・生命(いのち)を耕す、人生を開く鍵は

 ●
素直 ― 「はい、ありがとうございます。」心のわだかま
      りは、人生を歪めます。

 ●
感謝 ― いかなる境遇も、自分を育んでくれる肥やし。

 ●
前向き ― 後向きの生命(いのち)は、自分で自分の生命(いのち)を、やせ細ら
       せてしまう。

 ●
愚痴は言わない ― 自分が出したものは自分に返ってくる。
           これが宇宙自然の摂理。

 昨年、2020年東京にオリンピックを誘致するためのスピーチで、滝川クリステルさんが語ったひと言が、流行語大賞に選ばれました ―
「お・も・て・な・し」 素直・感謝・前向き・愚痴は言わない、全てがおもてなしの心です。
 
「供養」の原語は、古代インドのサンスクリット語プージャーに由来します。その意味は“尊敬の念をもって、ねんごろにもてなす”
 まもなく春の彼岸会を向えます。お彼岸の一週間・・・
おもてなしの心を忘れずに。




 
(これ)如何(いかん)せん。之を如何せんといわざる者は、(われ)之を如何ともするなきのみ」 ―『論語』―
 どうしたら自分自身の向上、更に切磋琢磨(せっさたくま)することができるか?・・・真剣に自問自答できぬ者は、この自分をどうすることもできない。
 佐藤一斎(いわ)く 〜 (ふん)の一字是れ進学の機関なり、と。憤(努力・修養せんと奮い立つ)こそが、その人間を進歩・向上させる道であることを、年の始めに当り銘記したいものです。
 當山にあって、平成26年は学校法人妙福寺学園銚子幼稚園旧講堂解体新築・平成27年 先代住職征当十三回法要、そして来る平成28年は、宗祖日蓮大聖人御生誕800年慶讃事業として、妙見宮本殿解体修復・拝殿新築という大浄行を控えています。・・・まさに感奮興起の時といえます。
 本年の干支(えと)(きのえ)(うま)、固い旧体制の岩盤が崩れ、改新・改革の気が表面化すればする程、その反面、既得権益を持った相手方が結集団結、徒党を組んで抵抗・反対することが予想されます。私達の日常生活にスライドして考えますと、型にはまった思考パターンは意味を持ちません。あくまでも臨機応変・柔軟な姿勢が肝要です。いわば調整力とバランス感覚の重視・・・そうでなければ、決して新風(四緑木星(しろくもくせい)の主な持性)は吹きません。
 本年、中宮に回座する四緑木星という星を、易の言葉に称して『飛龍、天にあり、大人(だいじん)を見るに()ろし』とあります。今や龍が時を得て、天空を雄飛し、雲を回ぐらせ、雨をふらせ、自由闊達に飛び回っている状態。この龍が大人(だいじん)(見識者)の援助を受け、信頼をし、様々な新風を吹かせ、未来の種がまかれる・・・一見、非常に明るい暗示がそこにはあるやに思えますが、留意点が一つ・・・楽観性にアグラをかかず冷静かつ細心の注意をはらいながら吉凶・善悪を把握選択する見識が要求されます。

                       心のスイッチ
          ― 東井義雄 ―

               人間の目は ふしぎな 目
               見ようという心がなかったら 見ていても見えない
               人間の耳は ふしぎな 耳
               聞こうという心がなかったら
               聞いていても 聞こえない

               頭も そうだ
               はじめからよい頭 わるい頭の区別が
               あるのではないようだ
         「よしやるぞ!」
         心のスイッチがはいると
               頭も すばらしい はたらきを しはじめる

               心のスイッチが 人間を
               つまらなくもし すばらしくもしていく
               電灯のスイッチが
               家の中を明るくもし 暗くもするように

心のゆとり、・・・一事貫徹の信念に身を置きながらも、それこそ中江藤樹が教える
(真楽)に心棒をすえる覚悟・決心を(かなめ)とする年です。




 
 干支(えと)(みずのと)()五黄(ごおう)土星中宮(ちゅうぐう)の本年も、まもなく暮れゆく日々此の頃痛感しますのは、その象意(しょうい)(現象)からくる自然災害、特に風水害によるところの被害の甚大さ・・・その最後のダメ押しは、フィリピンを襲った台風30号 〜 最大瞬間風速90m、2,300人以上の尊い命を奪った自然の猛威・・・あの高波は、東日本大震災時の津波を連想させるものでした。
          
    『み(ほとけ)の 道を聞いても
           
拝んでも
                 
我が行いにせずば
                 
かいなし』
 神仏(人知を超越した大自然の摂理)への畏敬の念を忘却しつつある現代の私達への警鐘は鳴り止まなかった一年であったことを否めません。
                
過去が咲いている
                
未来の(つぼみ)で一杯な
 私達は自分のことは無論、これからの日本の「
」と真摯に対峙すべきでしょう。「」何を考え、どうゆう日常の習慣を生き、更にどうゆう行動をとっているか―その「」が、私達の明日を開く、そのことを銘記すべきです。
 喜怒哀楽に沈溺(ちんでき)するのが、人生というもの・・・・・喜怒哀楽の向う側にあるものは一体何なのか?
 「順境に居ても安じ、逆境に居ても安じ、常に坦蕩々(たんとうとう)(おだやかで、ゆったりとした心境)として苦しめる処なし。これを
真楽という・・・・・。」― 中江藤樹 ―
 是非、
真楽に安ずる新年でありたいものです。
 日本の現代社会は、今「不安の時代 ― 閉塞の心理」と、よく言われます。物質は豊かで、何不自由なく日常生活は過ぎ、欲しい物は何でも手に入る。ところが衣食足りて、礼節は次第に忘れ去られ、「危機の時代」の到来が、有識者の間では叫ばれています。
 大震災からの復旧・原発事故の処理は遅々として進まぬ今日、2020年開催の東京オリンピックまでに、世界に誇れる日本の再生 ― 復旧・復興又は復活と言ってもいいでしょう・・・はたしてそれが成就するのでしょうか?
 平成の松下幸之助とも言っていい現京セラ・KDDI名誉会長の稲盛和夫氏の人生の方程式に次の様な考え方があります。
            
人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力
 熱意と能力(知識・技能)だけでは、決して事は成就致しません。その考え方、人生観・生きる指針、そのベクトルの方向づけがネガティブ、マイナスであれば、又は道徳律・倫理観から逸脱すれば、掛け算ですから、答えは自ずとマイナスにしかならないはずです。
 年の瀬に当たり、今一度、私達は佐藤一斎の訓言に耳を傾けてみましょう。
                 
一燈を()げて 暗夜をいく
                 
暗夜を憂うること(なか)
                 
(ただ) 一燈をたのめ
 その一燈を、どのような一燈として(とも)したら良いのか?・・・7年後の日本復活、日本再生の為の原動力として、来年私達が留意すべき(かなめ)は、実にシンプルなものに(おも)えてなりません。
 
勤勉性・・・うまず・たゆまず、昨日より今日、今日より良き明日であろうと日々誠実に、しかも着実に為すべき事を誠実に努める。
 正直・実直・忘己(ぼうこ)利他(りた)・報恩感謝・素直・謙虚・・・一つでも一途・一心に実践していこうではありませんか!
 元京大総長 故 平澤興氏は、20歳の元旦未明に起き、次の様な座右銘を墨書したそうです。
 
『常に人たることを忘るること(なか)れ。他の風俗に(なら)うの要なし。人格をはなれて人なし。ただ人格のみ、永久の生命を有す。 〜 常に高く遠き処に着目せよ。汝若し常に小なる自己、一身の利害、目前の小成にのみ心を着目せよ。汝若し常に小なる自己、一身の利害、目前の小成にのみ心を用いなば、必ずや困難失敗にあいて失望することあらん。 〜 全く小我をすてて、あくまで奮闘し、努力するの勇を有さば、如何(いか)なる困難も、如何なる窮乏も、汝をして失望せしむるが(ごと)きことなからん 〜
    進むべき 道は一筋 世のために
                    いそぐべからず 誤魔(ごま)かすべからず』