次代を見据えた寺門運営とは
先人の教えに〈子は親のいうとおりにはならぬが、親のするとおりになる〉とあります。〈いう〉とは言葉、その時々で如何様にでも繕うことができますが、〈する〉とは実践、生演奏みたいなものでしょう・・・決して隠せません。現代の少子化という時代背景にスライドして「子育て」という一大事を考えれば、その土台となるのは、親・家族・家庭の姿がどこまでも問われることでしょう。
子どもに残す最高の財産は、物ではなく、親が〈どう生きようとしたか〉その姿そのものです。
三界の首枷という子を持ちて 心定まれり わが首枷よ
窪田 空穂はこのように歌っていますが、子どもという首枷の為に自由がきかない親としての姿、しかしその反面、子どものお蔭で親としての姿勢を限りなく正していける・・・子どもを範として、子どもを拝む姿が、そこにはあります。
古来《家》を重んじてきた日本人としての観念の底辺に存在した親子の絆・家族の絆は、今や断ち切られんばかり、家族の分散化は更に進み、継承を基としての《家》の体系は昔の遺産になりつつあります。言うまでもなく寺檀関係の円滑な発展は、その《家》にありました。それが崩壊しつつある現在、《寺》の存在価値を問われることは至極当然のことでしょう。
當山にあって、その門戸を時代を見据えて更に開いていくキー・ポイントは、歴代先師の〈今を生きる姿勢〉・・・今、ここをどう生きようとしたのか、それを感知する住職としての責務を自覚することに尽きます。檀信徒は無論、更に有縁の方々に来山いただく方便の模索は必須課題といえるでしょう。
ちなみに當山では、月例にて瀧行を取り入れていますが、ネットから知った若者達が遠方より、よく来られます。
「寺は死んでから来る所じゃありませんヨ。生きている間にこそ、心の拠り所として来てもらえる、そんな寺の在りかたを一緒に考えてもらえませんか?・・・」― 彼等にまず伝える私の想いです。
〈今日、只今をどう生きようとするか〉
過ぎ去れるを追うことなかれ
いまだ来たらざるを念うことなかれ
過去 そはすでに捨てられたり
未来 そはいまだ到らざるなり
ただ今日 まさになすべきことを 熱心になせ
たれか明日 死のあることを知らんや
これが釈尊のみ教えの原点であることを、我々僧侶自身がまず実践すべきです。人生は〈いま〉という時間と〈ここ〉という空間がすべてである以上、〈いま・ここ〉を間断なく生きる、〈いま・ここ〉に全力を尽くす。 ― 釈尊の教えられた生き方です。
比叡山 延暦寺で修行僧の規律を定めた『山家学生式』の中に〈一隅を照らす。これすなわち国の宝なり。己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり。〉とありますが、一隅を照らすとは、その場になくてはならぬ人になる、とも換言できます。宗祖日蓮大聖人立教開宗の精神は、まさにここにあります。
この精神を、現代社会へとスライドして考えますと、松下 幸之助の教えが、どうしても想い起されます。ある時、松下政経塾の塾生からこんな質問がでます。「国家経営と組織・会社経営とは同じものですか?・・・それとも違うものでしょうか?」幸之助翁曰く「全く同じものと考えなさい・・・どちらも成功させる為には、三つの条件を念頭におくことヤ。第一は、理念の確立、これができれば50%は成功ヤデェ、第二は、その場にいる者が充実して働ける環境を整えること、つまり、組織編成ヤナァ、これができれば80%は成功ヤァ、そして残りの20%が、戦略・戦術を駆使することヤ。」 ~ この教訓を當山にて、まず応用させてもらったのが(学)妙福寺学園 銚子幼稚園でした。仏教情操教育 ~ 君らしく、という理念の確立、教師一人一人の立場と役割を明確化した組織編成、そして子育て支援という教育活動の中で、未就園児を充分にプールする戦略の駆使 ~ 平成28年度は180名の子供達を預かる中で、年度初めの仏教行事は、190cmの花房をたらす樹齢800年に及ぶ藤の香りを愛でながらの〈花まつり ― 釈尊降誕会〉。
下がるほど 人は見上げる 藤の花
初代園長でもあった當山先々代住職(祖父)自作の句を、当日は園児・保護者の皆様方と共に毎年度、角度を変えながら味読する一時は、まさに至福の時です。
至福 ~ 〈この上なき幸福って何だったけ?〉・・・再考の時です。金・出世・経済成長、戦後日本のキーワードですが、これだけ幸福を感じられるのは、成功者・勝者だけではないでしょうか。
現状への感謝報恩、ただごとではない親子・家族の絆、信頼できる人間関係の再興の時であることを銘記したいものです。
大聖人、刑部左衛門尉女房御返事に曰く『父母の御恩は、今初めて事あらたに申すべきには候はねども、母の御恩の事、殊に心肝に染みて貴く覚え候 ~而るを親は十人の子をば養へども、子は一人の母を養うことなし。』、昨年他界した母の備忘録の中に『家族は、国の礎』とあった ― 心耳を澄ませたい。