不易ふえきを知らざれば、もとい立ちがたく、流行をわきまへざれば、風あらたならず。』

― 松尾芭蕉

「去来抄」
 不変の真理・原則を忘却すれば、基礎が確立せず、時代の流れを無視すれば、溌剌たる句は絶対に作れない。
 「不易流行」は万古不変の人生の原則であろう。

  幕末の儒学者 佐藤一斎は、日本の将来を憂い、又 物事の本質を見抜く極意を
『一物の是非を見て、しこうして大体の是非を問わず。一時の利害にこだわりて、而して久遠くおんの利害を察せず。為政かくの如くなれば、必ず国は危し』
 全体視点を忘却し、一時の利害にはしって、それが後世に及ぼす影響を無視する、この様な者が国政を動かせば、その国の将来は非常に危ない。
 ローマは質実剛健・慈愛・礼節といったローマ特有の美徳を見失った時滅びた。・・・今の日本はどうか?日本を日本たらしめている〈不易〉を守ろうとしているだろうか?~ 勤勉・実直・真心まごころそして、和(絆)。

 戦後、本年は節目の70年。そして、敗戦後6年8ヶ月の占領下の間に徹頭徹尾その美徳を撤除されてしまった現状がもたらしたものは、教育・道徳の廃頽、自虐的歴史観、等々。
 3・11以後、すでに4年4ヶ月が経過し、極めて高い確率で10年以内に発生するであろう首都直下型地震、さらに20年以内に発生するであろう可能性が取り沙汰されている東海・東南海・南海連動型地震についての情報を、〈国の将たる連中〉は、来る2020年 東京オリンピック開催誘致をして、美事みごとにすり変えてしまった。
 正に国家存亡の折、大極を見失ってしまった国の将に、その資格は無い。ましてや、国立競技場新築に伴う国費の多大な浪費計画と、その稚拙な論議に二転三転する現状を、被災地仮設住宅にあって難儀を強いられている国民が、笑顔で肯定するとでも思っているのだろうか。又 無念の死をとげた国民の想いを察する時・・・

 脚下照顧 ~~ 私達の祖先は天災を含め、幾度となく見舞われて来た逆境を乗り越え、再々立ち上がって来た。幕末に黒船来航、西欧の植民地化政策を逸早いちはやく察知し開国、明治維新という国家的非常事態を挙国一致、中央集権体制を以て国是とし、又戦後の逆境から、あれだけの短期間で復興を成し遂げた背景には、実質的ビジョンと、それを牽引けんいんするに相応しいリーダーがいたに他ならない。吉田茂が日本独立を回復し、続く池田勇人はやとが「所得倍増計画」を実施し、高度経済成長に寄与し、一方では地域間格差を是正する為に田中角栄は「日本列島改造計画」に着手した。
 被災地の復興、そして今日こんにち世界の中の憂国日本を再興する為の原動力は、挙国一致にて「布施の一行」に徹することにまさる尊いものはない、と明言できる。釈尊は「与える前によろこび、与えつつある時に心清く、与え了って心よろこばし」とさえ言っておられる。
 内憂外患の最中さなか、オリンピック誘致延期そして返上を決断できる「将」はでてこないものか。
 時は、盆月、我達の命の根たる先祖への報恩感謝を専一にする月
物事の原理・原点に立ち返って、優先順位に重きを置いた私達の先覚者の智慧に是非とも学びたい。

“面白きこともなき世を 面白く住みなすものは 心なりけり”

 幕末の風雲児の一人であり、大政奉還の半年前に28歳で病死した高杉晋作の言葉である・・・人生は心一つのおきどころ、如何様にも千変万化する。人生観の鉄則でもあろう。
 事を成就する為には、常に成長し脱皮していくことこそが不可欠の条件更に高くジャンプする為にはその都度、深く身をかがめてみることも時には必要である。確かにリスクは伴うにせよ、英断を下させねばならぬ時もある。12年間、毎月実施してきた《聞法の夕べ》(法話会)を中止した。
 人間の心は、その波長に合ったものを引き寄せるようにできているらしい。人を恨み妬む心、驕り慢心する心は、それにふさわしい事象を必ず引き寄せるものだ。心が変れば行動が変わり、結果も当然変わる・・・私達の心は問題意識を持って、活き活きと動いているだろうか?
 熱意がなければ、周囲の人を引きつけ、周囲の情勢を大きく動かしていくこともできない。今一度、もとへ返って、一からやり直す時であろう。

花は香り 人は人柄

 という。いくら華やかでも、造花には人を引きつける魅力はない。人も熱意・真心・素直な心、そして反省がなければ人間的魅力は無い。當山の藤の如く、徳の香る寺を目指したい。
 『こうるは成るの日に成るにあらず。けだし必ずって起る所あり。わざわいおこるは、作る日に作らず。また必ず由ってきざす所あり。』中国 北宋の学者、 蘇老泉そろうせん(1009年~1066年)の「管仲論かんちゅうろん」にある言葉が胸を刺す。事を成功へと導く為には、平素日常の弛まぬ些細な努力の集積こそが必要不可欠な条件となり、禍が起こるのも必ずその兆しがあるものだ。
 徳の香る寺を創る為には ~ 覚悟を決めて生きる・・・主体的に生きる、と換言できる。状況に振り回されることなく、状況をより良く変えていく生き方を心掛けたい。そしていかなる時も誠実(真心)であれ、これは人生の大則ともいえる。

任は重くして道遠し

人生の指針を示唆して下さる當山の御守護神 開運北辰妙見大菩薩は、如何なる人生の大則を御示し下さるであろうか?

 四季は巡り、また私の心を癒やしてくれる藤の時節がまもなく訪れる・・・本年13回忌をむかえる先代師父も、生前こよなく藤の香りを愛でた。
 だが、人生の四季の訪れは1回限り~青春せいしゅん(30歳まで)・朱夏しゅか(30歳~50歳)・白秋はくしゅう(50歳~70歳)・玄冬げんとうはそれ以後と考えてもよいのではないか。人生の四季のいずれを生きていようとも、それは、「いま」という時間、「ここ」という空間以外には存在しない。生きるとは「いま」・「ここ」を間断なく生きる、ということであろう。

下がるほど 人は見上げる 藤の花

 先々代 祖父の座右の句であった。感性のアンテナを立てれば、藤から、私達の生きる姿勢が必ずひびいて来るにちがいない。
人生爽奮(そうふん) ―  命をさわやかに奮い立たせるには、その起源をさかのぼってみてはどうか?・・・一番近き命の根は二人の両親。その両親が生まれる為には、れに両親がいる。二代で四人、五代で三十二人、十代で一千二十四人、二十代で百四万八千五百七十六人、三十代さかのぼれば、十億七千三百七十四万千八百二十四人・・・なんと天文学的数字へとふくれあがる。祖先の内、その命の連鎖がもし一人でも欠けていたら、また途切れていたら、私達は「いま」・「ここ」に生きてはいない。生きることは、単に生きながらえることではないだろう・・・祖先から預かった命の魂を一所懸命燃やし続け、次の世代へと引き渡すことに他ならない。
 今以て、藤の治療が続けられてはいるものの、根の養生があったればこそ、その環境を素直に受け入れ、与えられた条件の中で、ただひたすらにその枝葉を伸ばし、精一杯に花を咲かせた結果、昨年その花房は190cmにも達し、その命の四季は玄冬(樹齢約800年)にもかかわらず、魂は正に青春を謳歌している。
 松下幸之助氏が松下政経塾を開講したのは、86歳の時と聞く。
いわく~
「年を重ねただけでは人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ」

「人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。
「人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く、失望と共に老いちる。」

 六白金星の象意を『易経』に、こう表現している
天行てんぎょう 健なり 君子自らつとめてまず』
天の運行、四季の巡りは一瞬も休まず、また正確かつ止まることがない。粛々と、ただひたすらに運行する。人生と真摯に対峙する者は、自らつとめて息まず、連綿としてバトンタッチされてきた命の連鎖を決しておろそかにせず、与えられた人生の中で、自己研鑚に邁進する命の躍動を持ちたい。

根無し草に 花は咲かない
信念がなければ
人生に花が咲かない

― 松下 幸之助 ―

『一念、道をひらく』・・・1つの道を切り開くことを、創始という。「創」には、「切り目をつける・きずつける」という意味があるが、辛苦・辛酸なくして、創始は成し得ない。

初代園長・祖父廣野 観山の労苦が偲ばれる。昭和28年、発園当初は正に「必死」であったに違いない。

平成27年は、戦後70年の節目に当たる。敗戦後、昭和27年再度独立するまでの間、日本はアメリカの属国として国威を発揚し難く、言論・教育が統制された時代背景の中、将来の日本を憂え、その理想とする姿に想いを馳せ、幼児教育に再興の望みを託した・・・「心の教育~仏教情操教育」を提唱した初代園長の慧眼である。二代目園長・師父廣野 観順は、法務多忙の中、その遺志を継承し時代推移の慌ただしい中でも、危機感・緊張感を失わずに、園運営に地道に勇往邁進、その結果が、今日創立60周年の慶典を迎えることができ得た原動力であることを銘記したい。

人生は「いま」という時間と「ここ」という空間以外には存在しない。生きることは、「いま」・「ここ」を間断なく生きる、ということであろう。
古語に「一源三流」という教えがある。「一源」とは誠意(真心まごころ)、この誠意を源として「三流」すなわち~

     一、汗を流す(勤勉・一心不乱)
一、涙を流す(忍耐)
   一、血を流す(命を込める)

道を拓く不易の原理である。

自らの「一念」がめげる時、前に立ちはだかる障害があまりにも大きく観え、それに押し潰されそうになる時がある。それが不動の現実だと思った時が敗北ではないのか。

これからの教育界は更に混沌とした困難に直面することが予想される。その試練に却って心躍り、「徳育」という旗標はたじるしを揚げて、敢然としてこれを打破できる。そんな幼稚園の心棒を打ち建てたい。

最後に、二宮尊徳の言葉。
「太陽の徳、広大なりといえども、芽を出さんとする念慮、育たんとする気力なきものは仕方なし」
発憤力こそが、道を拓く源であることを忘れてはなるまい。